宗教の二世信者が考える「理想の宗教のあり方」

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最近、新宗教二世である私のTwitterアカウントに「近しい人に宗教をやめさせたい、どうすればいい?」という相談が来ます。

非常に切実に悩んでおられる方が多いので、私にできることがあればと思い、お話を伺います。

しかしごく稀に、お話を聞いていくにつれて、だんだん信者さん本人の気持ちを完全に無視した方向に、話が進んでいってしまうこともあります。

申し訳ありませんが、私は宗教の信者を無理やりやめさせる活動をするために、ブログやTwitterで自分の思いや経験を伝えているわけではありません。

今回は、私が「にに」というアカウントを通じて目指す理想について、お話します。

 

目次

「宗教やめさせ屋」ではありません

私は先日まで、「宗教の信者を説得したいあなたへ」というシリーズを書いていました。

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こういった情報は、宗教をやめさせた側が書くものが一般的です。

しかし、説得された側から見た情報も貴重なのではないかと思い、実際に元恋人に説得されて信心が消えた、私視点での経験を語ったシリーズです。

 

このシリーズで私が伝えたかったのは、

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  • 宗教の信者は、信心が消えてから精神的負担がある
  • 宗教をやめさせられたからといって、全員が幸せになるとは限らない
  • 信者を否定する言葉は、逆に信心を強める可能性がある
  • 信者との対話は、相手をありのまま認めてあげることが大事

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ということです。

しかし、このシリーズのタイトルによって、読者さんに「このブログ運営者のにには ” 宗教のやめさせ屋 ” だ」という勘違いをさせてしまったのかもしれません。

もし勘違いをさせてしまったのなら、完全にこちらの表現力の低さに非があります。

申し訳ありません。

 

私はむしろその真逆で、宗教を愛し、熱心に信仰をしている人から、宗教を奪うような真似はしたくありません。

その行為は、ベクトルが真逆になっただけで、親が子供に宗教を押し付けることと、全く同じ行為だと思うのです。

 

私が生まれた「宗教を強制される世界」

日本国憲法第20条に、次のような記述があります。

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。(中略)

何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

引用元:日本国憲法

この憲法に守ってもらえない人が、日本にはたくさんいます。

その中の一部が、私のような「宗教二世で無信心の人間」です。

もちろん三世、四世、五世……それ以降の人たちも、私の仲間です。

 

熱心な信者のもとに生まれた宗教二世は、生まれた時点で信仰しなければいけない宗教が決まっています。

「宗教」が何かも全く分からない年齢から宗教教育を施され、自分の意思に関係なく宗教活動をさせられます。

中には暴力や命に関わることが正当化されている宗教や、多額の献金を強要する宗教もあります。

宗教一世は自らその環境に飛び込みますが、宗教二世は自分の意志とは関係なく、強制的にその環境に引きずり込まれます。

その結果、家庭崩壊や一家離散が起きています。

私も、熱心な新宗教信者だった母に「宗教をやめさせてください」と書いた手紙を渡すとき、「この願いが聞き入れられなかったら絶縁だな」と覚悟しなければいけませんでした。

 

この問題は、法律的に見ても難しい問題(親が子に自由に教育をする権利もある)で、なかなか直接的に打つ手がないのが現状です。

そして、これはいわゆる「新宗教」に限ったことではありません。

伝統宗教を信仰している方の中にも「本当は○○教で挙式をあげたい」「○○教に改宗したい」「○○教の奉仕者である親の跡を継ぎたくない」という方がいると思います。

憲法で信教の自由をうたっても、その恩恵を受けられない人がたくさんいる世界を、私はいい世界だとは思いません。

 

私の理想は「誰もが宗教を選べる世界」

私の理想は、以下のような世界です。

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  • 誰もが宗教を選べる世界
  • 宗教をはじめる権利とやめる権利を、いつでも全員が持っている世界
  • 宗教を信仰する人としない人が、お互いの邪魔をしない世界
  • 宗教によって人権が侵害されたり、犯罪が発生することのない世界

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きれい事かもしれませんが、私はこの世の全員が宗教を強制されず、邪魔をされることもない世界になってほしいと本気で願っています。

どのような宗教においても、私のような宗教二世が親にいつでも「宗教をやめたい」「別の宗教を信仰したい」と言い出せるのが当たり前の世界。

そして、それを言われた親は「そうなんだね、わかった。やめていいよ。」と言ってくれる世界が、私の理想の世界なんです。

 

また、宗教二世だからといって、全員が私のように宗教を嫌がっているわけでもありません。

私が居た宗教でも、親御さんと共に立派に宗教活動をしている、同年代の方がたくさんいました。

結婚や就職などを機に、自分の意志で信仰している宗教二世から宗教が無理やり奪われるようなことも、絶対にあってはいけないと思うのです。

 

裁かれるべきは「宗教」ではなく「罪」

信教の自由の侵害はあってはならないと思いますが、宗教によって人権侵害や犯罪が起きることもまた、あってはならないことだと思います。

しかし、宗教はたくさんの人を救っていることも事実なので、宗教自体を消すような運動も起きてほしくないです。

宗教がらみのトラブルが起きても、宗教自体はできるだけ消えることなく、人権侵害は人権侵害、犯罪は犯罪として裁かれ、この世から無くなってほしいです。

 

私の夢とできること

私は、たくさんの宗教二世の皆さんとTwitterで出会い、一歩踏み出す勇気を与えられました。

また、このブログに私の考えや体験を投稿し始めてから、私の中で「もしかしたらこのブログに救われる人がいるかもしれない」という感情が沸々とわいています。

こんなに自分から強く「情報発信をしたい」思えているのは、人生でこれが初めてです。

もしかしたら、これは私が生まれて初めて抱いた明確な「将来の夢」なのかもしれません。

ちっぽけで弱い私ですが、世界が理想に少しでも近づくよう、これからも情報発信を続けていこうと思います。

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この記事を書いた人

新宗教「真如苑」の元二世信者で、多趣味なアラサー女性。円満に宗教を退会した現在は、宗教と適度な距離を保ちつつ生活中。

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