宗教の信者を説得したいあなたへ ①心構え編

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私は幼少期から某新宗教を信じるよう教育されてきましたが、元恋人に説得され、現在は信じていません。

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この記事のタイトルを見て、これを読んでいる方の中には「新宗教信者のあの人をどうにか説得して脱会させたい」という方が多いかと思います。

そのお相手はあなたのご家族でしょうか?それともお友達、同僚、趣味の仲間、近所の住人……。

はたまた「家に勧誘に訪れたおばさんを蹴散らしたい」「Twitterの○○教信者を論破してやりたい」なんて方もいるかもしれません。

この記事では、実際に身近な人から宗教をやめるよう説得された当事者として、多くの人に知ってもらいたい私の考えを書いていきます。

目次

信心が消えた時の心の負担

前回の記事で、私の信心が無くなったあとの心の変化について書きました。

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宗教は、基本的に「生きる指針」や「救い」を与えてくれます。

本当にその宗教が直接作用したかどうかは別ですが、

  • 宗教のおかげで憂鬱だった気持ちが晴れた
  • 仕事が上手くいくようになった
  • 家庭円満になった
  • 病気が治った

だから「これからも自分に救いを与えてくれるだろうその宗教を信仰する」という信条の下で、信者は宗教活動をします。

しかし、その宗教が信じられなくなれば、もうその救いが与えられることはありません。

とはいっても実際に身に不幸なことが起きるなどというわけではなく、救いが疑わしいものになることによって、過去・現在・未来全ての宗教による救いが、全て無かったことになってしまうかもしれないのです。

例えるなら「この薬はとても体にいいよ」と言われて信じて長期間飲み続けてきたのに、ある日突然それがただのラムネ菓子だったと気づくような感じでしょうか?

私はあまり真面目に宗教活動をしていなかったので宗教に日々救われているという実感が元々少なく、心の負担も少なくて済みました。

しかし、熱心に活動していた方のその後の心の負担はかなり大きいものになるでしょう。

宗教にどれだけの時間、お金、自分を捧げてきたかという喪失感……。

説得を検討している方には、説得が成功して「はい、終わり!」ではなく、後にこのアフターケアも必要になることをご理解いただきたいです。

現に、信仰心を失った複雑な心境を吐露する場所が周りに無く、Twitterアカウントを作成し交流している方々を私は知っています。

ラムネ菓子を奪うこと

先ほど例に挙げたラムネ菓子について、引き続き例えながら話を進めていきます。

もし「とても体にいい薬」と言われてラムネ菓子を毎日食べ、幸せそうに暮らしている人があなたの母だったとします。

「薬のおかげで毎日健康で幸せ!しかも美味しい!」と言っている母から、あなたはラムネ菓子の真実を伝えて奪いますか?

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本当のことを伝えれば母はショックを受けるだろうし、私の言うことを信じないかもしれない。

最悪、逆にそのショックで母の体調が悪くなることまで考えられる。

安いラムネ菓子だから経済的負担なんて無いようなものだし、プラシーボ効果を感じて幸せそうに生活している。

だから別に取り上げるようなものでもない。

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という考えを持った方がいると思います。これ、宗教にも当てはめることができると私は考えています。

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その宗教はカルトだと非難すれば母はショックを受けるだろうし、私の言うことを信じないかもしれない。

最悪、逆にそのショックで母の今後に人生が悪い方向に行くことまで考えられる。

生活に困るほどお金をかけたり犯罪に手を染めているわけではないし、その宗教から恩恵を感じて幸せそうに生活している。

だから別に取り上げるようなものでもない。

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これが、私が母に抱いている考えです。

私は、宗教を失ったときの苦しみや精神的負担を知っています。

だからこそ、残りの人生がそこまで長くない老年の母から生きがいである宗教を奪った結果、その先に絶対的な幸せが待っているとは言い切れないと思うのです。

宗教二世である私はその宗教から「苦しみ」を与えられていますが、自ら望んで入会した母はその宗教から「救い」を与えられています。

だから、私だけその宗教をやめさせてほしいと考えているのです。

実害があるなら話は別

ただし、実害があるなら話は別です。

例えばラムネ菓子が1粒1万円で生活に困って借金をするとか、ラムネ菓子じゃなくて違法薬物だったとか、ラムネ菓子を買うために私からお金を奪うとか、ラムネ菓子のために私を殴ってくるとか、それはダメです。

周りに危害を加えたり犯罪を犯してでも宗教を続けたいという場合は、早急な対応が必要です。

説得したり、それでダメなら第三者団体や医療機関などに介入してもらって止めたり、被害から逃げることが最優先なら絶縁という手もあるでしょう。

奪うことは絶対に幸せにつながるか

逆に「たかがお菓子であるラムネ菓子をやめたくらいでは、きっとそんなにショックは受けない。やめたところでこれまでと生活は変わらないだろうからやめさせよう。」と考えた方……。

それも一理あります。

ラムネ菓子に人生を捧げるほどハマっているという方も世の中には居るとは思いますが、少なくとも私の場合はそうではありません。

しかし、これはあくまで例えであって、この記事での「ラムネ菓子」は「宗教」の比喩です。

宗教を強く信仰していない人にとって、宗教はせいぜいクリスマスやお盆、初詣くらいしか存在を感じない大したことのないものかもしれません。

あるいは、宗教団体が起こした事件のイメージなどから「悪いもの」というイメージをお持ちの方も少なくはないと思います。

しかし世界は広く、たくさんの人がいます。その中には自分とは相容れない考えを持つ人もきっとたくさんいます。

世の中には宗教を心から愛し、生きるための軸にしている人がいます。それが「信者」です。

[st-kaiwa1]あなたは、それでも幸せそうな信者から生きがいである宗教を奪いますか?

相手のその後の人生に責任を持てますか?

相手が宗教をやめたあとに幸せになった姿だけではなく、不幸になった姿も想像できていますか?[/st-kaiwa1]

知り合いは別の手段で様子見

ここからは、親類より距離が離れている人たちの説得について2パターン書いていきます。

1つ目は、友達や知り合いが「宗教の話をしてくるのが嫌」という理由でやめさせたいと思っている場合。

その場合はいきなり説得せず、とりあえず別の手段からはじめてみるのはどうでしょうか?

例えば、まずは「私は宗教の話を聞くのは苦手だから、しないでほしいな。」と提案してみましょう。

ここで重要なのは、相手を否定せず、自分を主軸に置いて話すことです。

「お前、宗教やってるの?マジ無いわー。」と相手を否定するとケンカになる確率が跳ね上がってしまいます。

しかし「あくまで私がその話を聞くことを苦手に思っているだけだから、あなたの信仰心はそのままでいいんだよ。」というスタンスで話せば、聞いてくれる確率が上がるかもしれません。

あなたがやめてほしいと思っているのは「相手の宗教」そのものではなく「相手が自分を勧誘してくること」や「会っている時に宗教の話をすること」ではないですか?

もしその場合は「宗教の話をされること」さえ解決すれば済む話です。

こうすれば相手の好きなものは守られ、自分も宗教の話を聞かなくて済み、お互いにとってwin-winのはずです。

先ほど「実害があるなら話は別」と述べましたが、私も家族と宗教の問題で2018年春から体調不良になり、仕事を休まざるを得なくなるなどの実害がありました。

しかし、これは私が「母だけでなく信じていない私も宗教活動に大きく巻き込まれること」や「日常的に母から宗教の話をされること」が精神的負担の主な原因です。

なので、私だけ宗教をやめさせてもらい、母に私への宗教の話をやめてもらえば解決する話です。

母の信仰そのものをやめさせる必要はないと思っています。

赤の他人の説得は時間の浪費

2つ目は、ほとんど会わない人や赤の他人に「イライラさせられたから説得したい」と思っている場合。

そんな場合には、いったん落ち着いて考え直してほしいのです。

私の大好きな芸人さんである南海キャンディーズの山里亮太さんは、嫌なことがあると次のように考えるそうです。

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嫌な相手のことを考え続けていると、その相手に対してわざわざ時間を割くことになる。

嫌な奴に自分の貴重な時間を奪われたら、その時間は相手のウィニングランの時間になってしまう。

そんなことになるくらいなら気持ちを切り替えて、別のことに時間を使えば、ウィニングランを阻止できる。

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あなたの時間、嫌いな赤の他人に奪われていませんか?

まあ、逆にそれに人生をかけるほどハマっていて楽しくて仕方ないという方がいらっしゃれば、それはそれで止めませんが……。

これを読んであなたはどうする?

宗教の信者を説得することについて、一通り私の意見を述べました。

一言でまとめると「宗教をやめさせることは人の根底を揺るがすレベルの出来事なので、やめさせざるを得ない状況である場合以外は基本的におすすめしない」ということです。

しかし、ここまでの話を読んだ上で、以下のような考えをお持ちの方。

「それでもやめさせたい!」

「相手の人生を左右する責任は自覚した!」

「覚悟はできたから説得する方法教えて!」

次回の記事は、そんな方々に捧げる記事にしようと思っています。

次は、私が恋人からの説得で実際に言われ、パニックに陥ってしまった言葉について説明します。

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この記事を書いた人

新宗教「真如苑」の元二世信者で、多趣味なアラサー女性。円満に宗教を退会した現在は、宗教と適度な距離を保ちつつ生活中。

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