前回の記事では、宗教の信者を説得することについて、私なりの考えをお伝えしました。
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宗教の信者を説得したいあなたへ ①心構え編
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一言でまとめると「やむを得ない事情がない限りは、無理に説得しないほうがお互い幸せ」というのが私の考えです。
しかし、前回の私の記事を読んだうえで「どうしても説得しなければいけない事情がある」「それでもどうにかやめさせたい」という方もいらっしゃると思います。
「宗教をやめさせたい」と一口に言っても、人それぞれ背景や事情が大きく異なってきます。
読者さんひとりひとりに明確な解決法を打ち出せるわけではありませんが、この記事では実際に私を説得する時に逆効果だった言葉から、改めて分析してみたいと思います。
逆効果だった言葉
私に宗教をやめてほしいと説得し、実際に成功させたのは私の元恋人です。
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新宗教二世の私の信心が消えたきっかけ
私は幼少期から某新宗教を信じるよう教育されてきました。 しかし、19歳のときに、とあるきっかけがあって所属している宗教の教義を信じなくなりました。 この記事では ...
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彼は、一発で説得を成功させたわけではありません。まず、私を説得どころか逆上させてしまった彼の言葉はこちらです。
は?ににって宗教の信者なの?マジで?ほんとに信じてるの?
そんなもん嘘に決まってるじゃん!
ほらこれ(携帯電話の画面見せてくる)、○○教って新興宗教でしょ?
新興宗教信者の彼女とか無理なんだけど……。
その宗教これからもやるっていうなら別れよ!
この言葉を聞いた私は「違う、そんなことない。」と言ながら号泣し、話し合いどころではなくなってしまいました。
この言葉が私に効かなかったのは、私が「辛い」と感じるポイントが多く含まれていたからだと思います。
冷静になった今の私が考える逆効果だったポイントは、以下の通りです。
失敗ポイント
- 相手(信者)そのものの否定
- 教団そのものの否定
- 世間との比較
- 辛すぎる交換条件
- 早口で笑うような口調
相手(信者)そのものの否定
もし「目の前にいる仲のいい相手が得体の知れない宗教を信仰している」と知らされたら、感情に任せてこれをやってしまうかもしれません。
彼の言葉のうち「無理」という言葉がこれに該当しますね。
これは宗教の信者云々に関係なく、やられれば誰でもショックを受けると思います。
自分そのものを否定されることは、とても嫌なことです。
話し合いの内容に関わらず、何事においてもこれをやってしまうと、その時点でケンカが始まる可能性が高いです。
例えショックであっても、いま言おうとしているその言葉が相手を否定する言葉になっていないか、しっかり考えるとよさそうです。
教団そのものの否定
これは、宗教二世に特に影響するポイントかもしれません。
宗教二世は、幼少期から宗教施設に通わされ、宗教を絶対的に正しいものだと学習しながら今まで生きてきたという人が多いように思います。
宗教は「生きる指針」を提示するものが多く、その場合には道徳的な話が教義にふんだんに盛り込まれているため、宗教の信者の人間性の土台の多くを宗教が占めることになります。
この場合でいう「嘘に決まってるじゃん」「新興宗教でしょ?」などの「教団そのものを否定する言葉」を用いると、自分の土台である宗教を否定されることになり「自分そのものも否定されている」と強く感じます。
なので、宗教の信者を説得する際には、教団を批判する言葉は使わないのが賢明かもしれません。
世間の考えとの比較
彼は私を説得するために、携帯電話で教団の名前を検索にかけ「世間では新興宗教だと言われている」と提示してきました。
「真実を見ればきっと目が覚めるだろう」という気持ちからの行動だったのだと思いますが、これは私には逆効果でした。
新宗教の中には「うちは伝統宗教からの分派なので新宗教ではない」という教義のある宗教があります。
私が信じていた宗教がそれです。
常識に疎く「新興宗教」という言葉の正しい意味を知らなかった私は「カルト宗教」というような意味の言葉だと考えていました。

彼のこの「世間の意見と比較する」という行為は「世の中のたくさんの人たちの目から、お前はおかしなやつだと思われているぞ」という意味として私に伝わってきました。
それを見せられた私は、大衆の前で辱められているような気持になり、冷静ではいられなくなりました。
そしてこれは宗教二世ならではの事情ですが、宗教二世は自分で宗教を選んだわけではありません。
物心ついたら何故か信者になっていたのです。
自分で選んだ宗教ならまだしも、やらされていたことを「おかしい」と責められたら、宗教二世としては理不尽な目にあわされているような気持ちです。
辛すぎる交換条件
彼は私を何としてでもやめさせたかったのでしょう。
「もし宗教をやめないなら別れる」という交換条件を提示してきたのです。
交渉に交換条件はつきものですが、それにも限度があります。
絶縁は、信頼関係のある人間同士において、最終手段にあたるレベルの大きな力を持ったものだと思います。
いきなり絶縁予告という大きな力が加わると、力を加えられた側は反発します。
「別れよう」と言われた私はパニックに陥り、反発力で彼の言葉を否定しながら、ただ泣くことしかできませんでした。
早口で笑うような口調
早口も、私がパニックになった原因のひとつだったように思います。
ただでだえ言葉の内容がショックなのに、それを早口で言われると脳の処理が追いつきません。
また、私は人の口調にとても過敏です。
子供の頃に「変な子だから」という理由で笑われることがしょっちゅうあり、周りの視線を気にしながら生きてきたからだと考えています。
彼がバカにするように笑いながら言葉をかけてきたとき、子供の頃の恐怖が一気に押し寄せてきました。
「お前は普通じゃない、おかしい奴だ」という感情が周りから伝わってくるのは本当に辛いことなのです。
説得されると信心が深まる?
私は不真面目な信者だったので、この一件のあとはモヤモヤしながら過ごすのみでした。
しかし、熱心な宗教信者が宗教をやめるよう説得を受けると、逆にその宗教にのめりこんでいくというケースがあるそうです。
なぜそのようなことが起きるのか、私なりの考えを書いていきます。
「説得」は「試練」だ
私が信じていた宗教では「教祖やその家族が逆境にあいながらも教団を守り通した」という話が教団史にあります。
このことを教団側は、
- あなたは今〇〇様と同じ体験をしている。貴重な経験だ。
- ○○様が見守っているから必ず乗り越えられる。
- ○○様が代わりに苦しみを背負ってくれている。
と教義に発展させ、「だから感謝をもってお祈りしましょう」と信者に示しています。
熱心な信者にとって、信仰を否定されることは「逆境があっても教団を守った○○様と同じ試練」と変換されるんです。
もしその時はそう思えなくても、うちの宗教の信者に相談したら必ずこの話が返ってくるはずです。
なので、○○様と同じ試練を与えられた信者は、○○様と同じように祈りをさらに深め、試練を乗り越えようとします。
これが逆効果を引き起こすメカニズムです。
「救い」を求めて宗教へのループへ
そして、宗教の信者は宗教に対して「救い」を求める傾向にあります。
今まで宗教に心を救われてきた体験がある熱心な信者の心の中には、既に「宗教の教義をしっかり実践すれば救われ、より良く幸せに生きていける」という確信があります。
信仰を否定されることは、好きなものを否定されることであり、とても悲しいことです。
人は悲しくなると救いを求めます。
信者にとって救いを与えてくれるものは宗教なので、宗教施設に赴き、祈り、周りの信者に相談します。
説得する側は「宗教をやめろ」と言っているのに、言われれば言われるほど悲しみが増し、救いを求めて宗教にのめり込みます。
こうやって説得側の願いもむなしく、信者は宗教活動に勤しむのです。
地雷を避けて思いを伝えよう
人の考えを変えるのは、とても難しいことです。
特に宗教は人の心に根差すものなので、よりデリケートな分野だと思います。
感情にまかせて思いをぶつけても、なかなかうまくはいかないでしょう。
私の地雷原を踏みまくって一度は説得に失敗した彼ですが、その数日後に放った一言で、私の信心を消すことに成功しています。
次の記事では、成功例にみる信者の説得についてお伝えします。
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宗教の信者を説得したいあなたへ ③成功ワード編
信者の説得は、やむを得ない事情が無い限りおすすめしないというのが私の考えです。 それを踏まえた上で、前回は説得に使うと失敗する可能性が高い言葉をご紹介しました。 ...
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